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SuperDuperFunderstanding

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*Teachingの仕事を選んだワケ*

”教師も大学教授、医者でさえも、たかが人間。”
母と姉を教師に持つ私が、ずーっと教師という仕事に対して持ち続けていた考えはこれである。ちょっとばかり偏屈だった私は、彼らは別に何何様とは思った事がないという意味になる。

仏教系私立の女子高で教育を受けた私は、小中高校時代はいつも受身の生徒でいた。なぜなら、教師を敵に回したくはなかったから。小学校低学年の頃、学習能力が低かった私は(要するにLD障害児)、自分としては、決して人に迷惑を掛けようなどどしたつもりは全くなかったのに、何故かしょっちゅう、担任に注意をされていた記憶がある。教師としての”質”が悪かっただけなんだけどね。この頃私の心に刻み込まれた事とは、”教師のくせに、よくあれだけ個人的感情や憎悪を出せるもんだ。” その昔、小学校の教師であった母は、私のことではずいぶん悩んだろうなあ、と今になってつくづく思う。そして小6の時、ある意味人のことを小ばかにした様に見ていた、教師達の態度を一変させる一大事が起きる。当時、学内一成績の良かったSちゃん(イイ子だったのよねえー東大に受かったのに蹴っちゃった)と、常に底辺あたりをさまよっていたこの私が、県の読書感想文コンクールとやらで二人だけが入賞したのだから、さあ大変。何を書いたかとんと覚えていないのだが、とにかく教師ドモの態度が変わったことだけは事実。その頃からやっと、私も教室で緊張する事が減って来た様だった。考えてみると、あの頃から作文を書くのが好きだったんだわ、私。英語でも、Essay書く事が好きだしね。
とにかく、家族の愛情に包まれて、何とか無事中学生になり、その頃からやっとまともな成績をもらう様になって来た、かな? 中学時代は、数学が大嫌いで苦悩するが、反対に洋楽に夢中になり始め、それがきっかけで英語が大好きになり成績もわずかづつではあったが、上昇し始める。この頃母に、"何か一つ、自分の得意分野を見つけて力を入れなさい”と言われ、それがきっかけでまた英語の勉強に力を入れ、高校は英語科へと進む事になる。

周りが勉強の出来る生徒だらけではあったが、高校生活はとても楽しかった思い出が多い。 -To be continued-


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